初めての一人旅はトルコ・チェコだった。
単に今まで現地集合という形で一緒に海外旅行に行っていた友人と日程が合わなかったので一人で行くことにしただけだ。集合までに一人でふらふらしていたので、多少抵抗がなかったのもある。
トルコ・チェコを選んだのは、当時トルコ航空が閑散期にフェアをしていて、ヨーロッパどこか一か国を選べばかなり安く行けたからだ。乗り継ぎ地のイスタンブールにはタダで行けた。初のヨーロッパで行先を色々考えたが、イスタンブールを調べているうちにこっちをメインにしたくなった。折角だから2カ国行きたいが、あまり日程を割きたくない。チェコならこじんまりをとしているので、プラハだけでいいかと選んだのだ。
当時大学生だったので、ゼミには事後報告でさぼる事にした。2週間メール一本で休むという愚行を働いたが、帰国しての教授の第一声が「トルコはどうだったね?」だったので、もっと長期でいけば良かったと少し後悔した。
当時はガラケーであまりネットをしなかったので今より情報が少なかった。それでももっとトルコを知ってから行けば良かったと思う。後からハマった岩明均さんの“ヒストリエ”や篠原千絵さんの“夢の雫、黄金の鳥籠”を読んでいたらもっとイスタンブールに思いをはせれたのに。
2月のイスタンブールは雪が積もっていた。トラムから降りると雪化粧のブルーモスク(スルタンアフメット・モスク)。美しいオダリスク。
その横を通ってホテルを探した。この付近は旅行者向けにホテルが集中しているので。当時はゲストハウスを知らなかったので普通にホテル。周遊予定で先が見えなかったので現地調達で、予算に合うところを探して回っていく。今ならbooking.comを使ってると思う。閑散期だったので、どこも空いていて選んだホテルでは客はおそらく私一人だった。おかげか朝ごはんをお呼ばれしたり、オーナーのお孫さんと少し遊んだりして良い経験ができた。barにも連れて行ってもらったが、私の英語力が酷過ぎて会話は困難だった。オーナーのおじいちゃんが奥さんに向かって「今も僕は妻を愛してるよ、I love you, honey」というので驚いた。日本で見たことのない光景だったので。
旧市街を拠点にしたので、主な観光地はほとんど回った。閑散期はどこも全く待たずに入れた、数年後に5月に行ったらどこも行列だった。
アヤソフィアでは警備員が雪合戦していて(休憩中?)始終のどかだった。アジア人一人はトルコではまだ目立った。若かったせいか、警備員のお兄さん(凄い美形!)が写真を撮ってくれ、そのままアヤソフィアの名所を案内してくれた(1階が持ち場らしく1階だけ)。「ここがラッキーポイントだから手を入れて!」と。「マリアの手形」というらしい。
因みにアヤソフィアは博物館なので入場料・セキュリティーチェックあり。目の前のブルーモスクはモスクなので非イスラムのラインまでは入場自由。寒かったので黒のダウンコート(男物)にカーゴパンツという男らしい恰好にベージュのストールを巻いて行った。モスクに入るときは肌を露出しない恰好で、女性はスカーフで頭を隠す事。お互いに郷に従う事は大事だと思う。ただ、もう少し綺麗な格好しても良かったかも・・
イスタンブールは東ローマからオスマン帝国へと何回も支配者が変わっている。アヤソフィアはキリスト教時代とイスラム教時代が共に見られる。逆だが、スペインのアルハンブラのようにキリスト・イスラム文化が融合した場所だ。トルコには他にもこうした場所がいくつもある。↑もかなり剥がされているが(排他的な時代があった)、今は保存と修復に力を入れている。
記録の為にもブログを始めたが、写真を見てると・・また行きた~い!!!大好きなトルコとモロッコが呼んでいる。当時テロなんて考えなかった、正直ヨーロッパより治安がよく人も親切で、特に日本人女性は「モテたければトルコに行け!」だった(笑)
文化に寛容で、多様性を認めたうえで敬虔な人はどの宗教にも沢山いる。なんで行くのにためらう様になったのか。。。